准学校心理士のみなさんへコロナ禍の収束(終息)とは? 

[2021.6.4]
准学校心理士資格認定委員会委員長
大野精一(星槎大学大学院 教授・研究科長)

 本当に鬱陶しい日々が続いていますが,お「元気」(新漢語林MX:万物を産み育てる気)でしょうか。出口の見えないコロナ禍で行政から将来展望を欠く場当たり的な「自粛」を要請(実質的には「強制」に近い)されて,にっちもさっちも(二進も三進も)いかない状況に地団駄を踏む毎日です。恐らくこれは全国津々浦々の居酒屋さんや劇団・寄席の方々,ミュジシャンの方々等に共通する思い(「怨念」?)でもあるのでしょう。
  73歳になる私などはこのままキャリアの総括ならぬ「終活」に入らざるを得なくなります。
それでもわれわれは萎縮するばかりでなく,専門職として少なくとも良心に恥じないような行動が求められています。
  何をしたらいいのでしょうか。「する」ことが難しいのならば,何が求められているのでしょうか。その基準はどのようなものでしょうか。
  それは「祈り」(危機的状況下におけるこころの支えや希求するもの)に近いもののように思えます。

ニーバー Reinhold Niebuhr1892-1971(アメリカの神学者)はこう言います

God, give us grace to accept with serenity the things that cannot be changed,

  Courage to change the things
  which should be changed,
  and the Wisdom to distinguish
  the one from the other.

神よ,変えられることのできないものについては,それを受け容れるだけの心の落ち着きを与え給え
変えられるべきものについては,それを変えるだけの勇気を与え給え
そして変られえるべきものをそうではないものから区分けする知恵を与え給え

ニーバーの叫びは,
躊躇ばかりではなく勇気courageを!
しかし無謀さではなく知恵wisdomを!
そして,それでも生きていくために心の平安serenityを!

と言うことだと思います。

日々この言葉を噛みしめながらそれぞれの場で実践していきたいものです。