対話から共話へ

[2020.6.5]
准学校心理士資格認定委員会委員長
大野精一(星槎大学大学院 教授・研究科長)

何とも鬱陶しい日々が続いています
ただ,引きこもりの若者から「どうしてみなさん外に出たいのですか」と問われると,応えに窮します。
私だけの実感かも知れませんが,仕事やプライベート等のOnーOffが不明確な時空間にいることで,いろいろと考えないうちにその日その日が過ぎていく感じがしています。
時間が在って考えることができそうなのに,実際にはそれができない。
何とももどかしい感じです。

今日(2020/06/04)の朝日新聞朝刊で以下のようなおもしろい記事を見つけました。
ドミニク・チェン 遠隔でも「共に在る」感覚 (東京版13版23面)
内容は私の要約(抜き出し)では次のようです。

1)オンラインシステムを使った授業や就活等ではこれまでよりも「縛られている」と感じている学生の声がある。
2)その不満は例え双方向の会議方式であったとしても,リアルタイムで一方的に向こう側から情報が送られてくるという非対称な関係に起因する。
3)欧米では交互に発話する「対話」が主である一方,日本では「共話」といって,お互いの発話を補完しあったり,あいづちを打ち合ったりという形式が特徴的である。
4)チャットをうまく使えば,発話が重なる共話は対話よりも情報の流れが同時並行的であると言える。
5)今後課題となるのは「対称的な遠隔コミュニケーション」である。

私の実感は「対称的なコミュニケーション」を失うことで,豊かな会話とそこから醸成されていた「時空間」(実空間,さらに時計が測るクロノスではなく,自分自身の中を流れる内的時間であるカイロス)が失われることで,考える基盤を喪失している,ということかも知れません。
ここまで辛うじて「考えて」きて今一番したいことが,フランスからスペインへの,あるいは四国での巡礼である,と私が決定的に思い描く理由が明確になりました。
いろいろなことを歩きながら,そして時に同行の方たちと交流しながら,じっくりゆっくりあれこれと考えたい,ということなのでした。

少なくとも72歳の私よりはお若いであろうみなさんの,これからの参考になればと思っています。