安心安全という用語について

[2020.10.27]
准学校心理士資格認定委員会委員長
大野精一(星槎大学大学院 教授・研究科長)

安心安全という言葉が連語のように使われている。
どことなく変だと思っても,原発事故や新型コロナ禍等に関連してさまざまなところで使われるものだから,慣れてしまった。
みなさんの職場でも同じではないですか。
「子どもたちのために安心安全を!」
やっとその違いや私自身の思い込みの原因が,ある本を読むことで私自身としてはスッキリとわかったところである。
池田清彦著『自粛バカ リスクゼロ症候群に罹った日本人への処方箋』
(宝島社新書)にはこう書かれていた

岩田健太郎(神戸大学医学部附属病院感染症内科教授)が「安全は大事だが,安心は大事じゃない」と言っていたが,安全というのは科学的な話で,安心というのは心理的な話なんだよね。安心と思っているものが安全とは限らない。

「(私は)安心できない」と言えても,「安全できない」とは言えないのであるから,当然にも安心=安全ではないのである。
安心できないから,安全ではないのではないか,あるいは安全であっても何か安心できない,と内心で思うこともある。
こうなると,リスクゼロ=安全=安心となって,本来的にあり得ない仮定(与件)の下でわれわれは竦む(すくむ)しかない。

子どもたちは養育者がいくら安全を確保しても尻込みをするが,それでもその子どものことだけを誠実に熟考する養育者の保護(関心とサポート)を安心のベースにして少しずつ冒険(ある面で慎重にリスク評価して)できるのであろう。
新型コロナ禍で「養育者の保護」をわれわれにとっての「社会のリーダー(シップ)」と言い換えれば,それは信頼される誠実で利益相反のない,例えば為政者や科学研究者に求めることもできる。
現政権(厚労省等)や学術会議(医学研究者等)はこうした付託に答えているか(少なくとも応えているか)注視していきたいと思っている。